田舎での密接な人間関係と、現代における希薄なつながりを比較し、子育てにおける人との関わりの重要性について考察します。個人主義が進む現代において、親同士の関係が希薄になりがちな一方で、支え合いの仕組みを見直すことの重要性を探ります。
私は久留米市の耳納山麓の里山で育ちました。
幼少期はサワガニやトンボを捕まえながらのどかに過ごし、自然に囲まれた暮らしを楽しんでいました。
しかし、田舎特有の人間関係の濃さには、助けられる部分と困る部分の両方がありました。
小中学生の頃、転校生が来たりクラス替えがあると、祖母がどこかでクラスメイトの噂を聞きつけて、事前に情報を教えてくれることがよくありました。
今振り返ると、こうした情報のおかげでコミュニケーションのトラブルを避けることができたのかもしれません。
しかし、その反面、田舎の密接すぎる関係性には窮屈さも感じていました。
例えば、自分の成績を祖父母に話していないのに、なぜか知っているということが頻繁にありました。
誰がどこで話を聞いているのかわからず、思春期の私には息苦しく感じるものでした。
そのため、高校は家から離れた福岡市内の学校を選びました。
ところが、親になった今、逆に人間関係が希薄になったことでの難しさを痛感するようになりました。
特にコロナ禍では、親同士の交流がほとんどなく、子ども同士のトラブルが発生しても、相手の親の人となりがわからないため、どのように対応すべきか迷うことが多くありました。
これらが分からず、手探りでのコミュニケーションを強いられ、神経をすり減らしました。
私が過ごした平成初期の農村部のように、人間関係が濃いことが必ずしも良いとは言えません。
しかし、当時の共同体は、個人では対応が難しい問題に対し、クッションの役割を果たしていたのだと実感します。
とはいえ、現代においてプライバシーのない共同体に戻ることは現実的ではありません。
これからは、
ことが求められるでしょう。
しかし、忙しい現代の親たちにとって、特別なことをするのは難しいものです。
だからこそ、
といった小さな行動が、関係の構築につながるのではないでしょうか。
また、時には祖父母など周囲の誰かに頼ることも大切です。
いずれにせよ、個人主義の進展により、親や子育てに関わる人々の負担は増しているのが現状です。
だからこそ、社会全体でその負担を分かち合い、少しでも支え合える仕組みを模索することが大切なのではないでしょうか。
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